知ってますか?


 

半世紀以上も塩漬状態だった都市計画道路の「補助230」。
その一部、富士街道から青梅街道の間だけがH28年3月に突如、第四次優先整備路線となりました。(下図参照)

 

富士街道新青梅街道(430m)→「都ー71」として
新青梅街道〜青梅街道(910m)→「区ー58」としてです。

 

下の写真で本立寺脇の小径が見えますが、この小径が「区ー58」として、
道幅16メートルの自動車道になるかもしれないのです。

そんなに広い道は本当に必要なのでしょうか?

 

武蔵関・関村の歴史をひもといた時、

この小径を無くす、壊すという事は大変に大きな出来事だと

私たちは危機感を持っています。

 

下の古い地図から、

富士街道とホボ中央の青梅街道の間に

本立寺を中心に石神井川を挟んで広がる、長閑な関村の田園風景が想像出来ます。

 

本立寺右脇にある道、江戸時代からの歴史を見つめて来た小径です。

『歴史の道 調査報告書』(東京都教育庁生涯学習部編 1993年)にも掲載される
この歴史ある小径を、本当に壊しても良いのでしょうか。

 

歴史と文化を守らなければ人間関係は孤立化します。

 

ご存じの通り、補助230と並行して、現在、補助135の整備が進みつつあります。


補助135が整備されれば、並行する旧道の庚申通りは、業務車は激減するでしょうから

補助230は道幅16mの自動車道にする必然性がありません。

 

整合について、検討が必要な路線だと思いますがいかがでしょう。


強いて言えば武蔵関駅の再開発・整備に絡む北口ロータリーの「出入り口」として必要だという

強引な、無理筋の話しだと思われます。


北口ロータリーの位置移動をして

「出入り口」を庚申道りにすれば良いのに不思議です。

 

(過日、都議のお三方と面談した時の我々のメッセージです。詳細は「都議会議員」 PDF をご覧下さい

 

戸時代からつながる本立寺脇の小径、歴史香るこの生活道は守らなければ

住民の大切な歴史的資産・文化的資産は失われます。

 

関町北は、

この補助230 号線で東西に、西武新宿線で南北に分断され、

民は孤立化してしまいます。

 

過疎地の循環バス実証実験で一日中乗車したら、降りない人が何人かいたそうです。
聞けばバスを「井戸端会議の場」にしているとのことでした、、、

 

な〜るほど、、、人は孤立化だけは避けたい、コミュニケーションが大事だというエピソードですね。

 

現在武蔵関駅前には、広場らしい広場はありません。
いつでも気軽に待ち合わせる事が出来る”ベンチ”も無く、目印になるモニュメントもありません。
良くある駅前のマルシェ、
武蔵関駅前にも、そんなイベントが開ける広場が欲しいと思いませんか。


住民が誰でもゆっくりできる広場、そしてコミュニケーションがとれるそんな広場が欲しいですね。

高齢化が進む中での町の人たちの「井戸端会議」は大事です。

井戸端会議が出来、マルシェが開ける広場、武蔵関駅前にも欲しいですね。