<武蔵関の歴史>


この地区は「関」と呼ばれてきました


武蔵関という名前は、主に駅の名称であり、本来この地区は「関」と呼ばれてきました。

この地区の住所表記の沿革は下記の通り。

・江戸時代は武蔵国豊島郡関村
・明治22年に東京府北豊島郡石神井村大字関となる写真は、現在も使用されているゴミ箱。住所表記は遊び心かな?)
・昭和7年に東京府東京市板橋区石神井関町となる
・昭和24年には東京都練馬区関町となる
・昭和53年には関町が、関町北、関町南、関町東に住所表記が分かれた。

以上より江戸時代以降の共通した地名は「関」ということになりますが、
住民や周辺の人たちは一般的にはこの地区のことを関町と呼んでいます。
(関と呼ぶ人もいますが、主に昔からの住人である。)
尚、道路の案内標識にも関町と記されています。

武蔵関地域の歴史は古く、近くに流れる石神井川の流域からは様々な遺跡が発見されており、縄文時代から人が住んでいたことが分かっています。
また奈良時代には、この地域の氏神様天祖若宮八幡宮の前身となるものが出来ています。

それでは、なぜ「関」という名前の場所になったのでしょう。つづく(以下外部リンクにいきます)

 

 

<参考> 

練馬区HP/練馬の地名 今むかし

https://www.city.nerima.tokyo.jp/kankomoyoshi/annai/rekishiwoshiru/nerimanochimei/index.html

https://www.city.nerima.tokyo.jp/kankomoyoshi/annai/rekishiwoshiru/nerimanochimei/nansei/sekimachikita.html

 

フリー百科事典/『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/08 07:17 UTC 版) 「関町」の由来

https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E9%96%A2%E7%94%BA%E5%8C%97_%E9%96%A2%E7%94%BA%E5%8C%97%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81#%E5%9C%B0%E5%90%8D%E3%81%AE%E7%94%B1%E6%9D%A5